1 --= Dr.KO`s GROOVE SKOOL =--

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俺にとって最高のBrotherのひとり、札幌の虎こと、MASAが逝ってしまった
札幌の日本一イカシタSOUL BAR "SOUL COP"のオーナーで、どうしようもないタイガース・ファンの彼は、HUMAN SOULの頃はプロモーターとしても強力に協力してくれたのだった。

JACK DANIELをこよなく愛し、朝から瓶飲みする姿が今でも想い出される。
さすがに肝臓は相当痛んでいて、当時から病院と店の往復が続いていた。パッと見は酔いどれのヒッピーにしか見えないのだが、彼ほど
美しい酔っ払いはいなかった。
よれよれの行動、ろれつの回らない喋り、そのどれひとつをとっても彼の美しさを汚すものは何も無かった。

2年前、神戸のChicken Georgeで開かれたパーティーに彼は札幌から参加した。
このパーティーの打ち上げではChicken名物の千円ジャンケンが行われた。この日は総額\500,000がWinner takes allのルールで行われた。
著名ミュージシャンも多く加わったこの千円ジャンケンでMASAは着々と勝ち進んだ。 俺は2回戦で早々と負けてしまったのだが、彼は俺のところへ来てこう言った。
「興ちゃんよぉ。俺ぁ、こっちに来てからずっと気分がグーだからよぉ、ずっとグーだけ出してんだよ。」
なんと彼はそのままグーだけで勝ち続け、決勝戦で伊東たけしを迎え撃つ事になった。
「興ちゃん、やっぱ最後はPEACEかな。」
そう言い残して舞台に上がった彼は見事
チョキで50万円をゲットしたのだった。
俺は85年のタイガースの優勝の時以来の歓びに酔いしれた。

50万を握り締めて札幌へ帰ったMASAはその足で旭川で豪遊しようとホテルにチェックインしてシャワーを浴びようとして倒れ、結局入院する事となり、その50万は綺麗に消えたと聞く。
常に
完璧な人生を送って来ていると言わざるを得ない。

SOUL COPは残されたスタッフで営業を続けるらしい。
MASAが40年の命を費やして集めてきた数々のレコードが今宵もすすきのの一角をPEACEなVIBEで包み込む。 俺は今でもローカウンターの端っこで三角座りをしてMellowなGrooveに身を委ねるMASAがいるような気がしてならないのだ。





11月にはRon Carterとのツアーも控える山口 武 ULTRA TRIOの初の地方ツアーである。
東原力哉と共に今回は自ら車をころがすゴキブリツアーだ。
珍道中を日記風にお楽しみいただきたい。

9月30日 鳥取5ペニー
前日のRUGTIMEでの酒を残しつつ、午前10時に力哉邸に集合、予定通り?12時過ぎには初日の鳥取に向けて出発した。NANIWA時代からお世話になっていた5ペニーは今では離婚された奥方がしきっておられる。
地方に来て困るのは酒である。
リキがマイヤーズ・ソーダを注文する。
が、マイヤーズはない。
ではタンカレー・ソーダを。
もちろんタンカレーはない。
ではボンベイを。
ある分けないのである。
しゃあない、赤ワインをオンザロックで(彼はとにかく冷たいものが好きである)。でてきたのはロゼだった。
発狂寸前の彼はそれでも気を取り直し、白ワインをオーダーした。
ドイツの甘口が出てきたわけだから、彼も諦めがついたようだった。
結局店に1本だけ残っていた、鳥取ワインでステージはなんとか始まった。
ちなみに俺はステージではビール。
これならまずありつけない事はない。
経営が奥方に代わったとは言えこういった老舗が鳥取で頑張ってくれている事はとても嬉しい事だ。
しばらくご無沙汰してしまっていたが、今回を機会に俺もまた鳥取に訪れたいと改めて痛感した。

10月1日 倉吉ドルチェ
去年、KANKAWAと来て以来の倉吉だ。 前回は本番前に関金温泉に行ったりしたのだったが、今回はそこまで余裕が無かったので、いきなりセッティングを始めた。ここのオーナー山名氏はスタジオやビデオショップも経営されている。そのために会場に貼り付けられた手書きのポスターの裏はほとんど、AVビデオのポスターなのだ。
一体何本のAVビデオが世の中に出ているのか知るすべもないが、よくもこれだけ馬鹿らしいタイトルが次から次へと思い浮かぶもんだ、と感心すらしてしまった。
ま、俺たちのアドリブも似たようなもんやから、別に驚くほどの事も無かったわけではあるが。
エッチな数々のタイトルのおかげで演奏はすっかり盛り上がった。
山名さんもカナリ興奮されたようで、打ち上げでは独宴会状態に突入していた。
近いうちに大阪でご接待させていただきます。

10月4日 広島 Badlands
今日もB-Boyファッションが年齢不詳に輪をかける松浦氏はBadlandsレーベルを立ち上げ、地元バンドの振興に余念が無い。
現在もベッピン?3人組の「仏陀」のプロデュースにカナリ熱が上がっている。
ライヴハウスが中心になってインディーズ・シーンが元気になってくる事は非常にいい事だ。
Chicken Georgeなんかもやり始めている事だがこれら西日本のライヴハウスがネットワーク化されて、若いバンドが育っていく環境が出来る事を俺はずっと願っていたのだ。
是非とも気長に頑張って欲しいものだ。
打ち上げの最終はご存知「なかちゃん」でしめた。
ここの鉄板焼きはそれこそ絶品で、この日もウニ・クレソンとアワビのバター焼きは顎が落ちそうだった。それぞれ生で食っても十分美味いのだが、少し火が入る事によりその美味さは倍増される。
ちなみに翌日の昼食はなかちゃんが昼間やっている店の方にお邪魔して、お好みとラーメンをたいらげた。

10月5日 米子ファンフェルナンデス
広島から米子は以外に距離がある。
昼間から「なかちゃん」で大宴会をしてしまったので米子に着いたのは6時になってしまっていた。
俺はファンフェルナンデスは初めてだったが、リキに噂のオーナー、外人部隊にも所属の経験を持つ、バキューム小泉を紹介してもらった。
HUMAN SOUL時代から感じていた事だが、米子はさすがに熱い。
開演時間が遅れた事などどこ吹く風で激しく大騒ぎをして打ち上げに突入した。
バキュームの計らいでテーブルには解禁前の松葉蟹が並べられた。これがまた、チリのカベルネとは絶妙のアンサンブルを成す。
シーフードには白ワインと考えているならば、一度新鮮な松葉にカベルネってのを試していただきたい。 出来ればボルドーのものが望ましい。蟹で十分幸せだった我々に追い討ちをかけたのがくたくたに煮こまれたおでんの大根だ。
これまたカベルネとの相性が素晴らしい。
一説によると、おでんの大根はピノノアールとのマリアッジが絶妙らしい。
大満足の宴は更にリキのお気に入りの長浜ラーメンでエンディングを迎えた。

10月6日 出雲 味巣亭
この日は集合時間の12時に寸分たがわずリキが登場した。
全員不気味に思いながらも、バキュームの先導のもと、リキのお気に入りの蕎麦屋へ向かった。あいにく満席だったので表でしばらく待つ事にした。その時、ゆらゆらっと来始めたのだった。瞬時にその揺れはとてつもなくデカイものになって、俺たちには5年前の経験が頭をよぎった。
旧家に囲まれた路地である。とにかく家沿いは危ないので道の中央に叫びながら移動した。
それにしても地震のエネルギーを足の裏で直に感じた事などあまり無いので、正直言って興奮した。
俺は上から何か落ちてこないかを注意していたのだが、街中が2重3重に映る景色は恐怖心を超えて壮観だった。
おさまってからタケッちゃんが立っていたところを見てぞっとした。
ちょうど立っていた所に大きな看板が落ちていたのだ。逆側の道沿いをみると瓦が崩れて落ちていた。
気を取り直して蕎麦でも食おうと店内に入ろうとしたのだが、給水タンクが壊れてしまったみたいで水が使えなくなってしまったので、結局ありつけずに出雲へ向かった。
余震は続き、車の中でも感じ取れるものもあった。さすがに9号線は大渋滞でなかなか進まない。
ようやく松江に差し掛かったところで割子蕎麦を食べることにした。立派な日本庭園を持つこの店も灯篭がひっくり返って割れていた。食べながらリキがふと言い出した。
「地震の時、誰かが俺の腕をスゴイ力で掴んで離さんのよ。」
「それ、ボクやわ。」
山口 武がポツリとそう言った時には一同大笑いだった。
「だって、怖かったんやモン。」
穏やかな京都弁の彼はこうやって、みんなから愛されてきたのだ。
出雲は米子に比べれば被害は少なかったようだった。何と言っても俺の出生地である。
出生地での演奏は今回が初めてだ。
とはいえ2歳で和歌山に移ったので同窓生などはいない。
それでも熱心なファンで満杯になったのはいいのだが、最前列は残念ながら男性諸氏に占有されてしまった。タケッちゃんの集中力が上がってこないのが手に取るように分かるのがおかしかった。
今後は最前列男性禁止令をしいた方がいいかも知れない。
それでも演奏は盛り上がり、2回目のアンコールでは珍しく唄ってしまった。
初の出生地ライヴはやはり感慨が深かった。
2日間のオフがあったので、俺はメンバーと行動を別にして、仁摩にある墓参りをすることにしたのだ。

10月9日 福知山 FARM
20年ほど前に六本木のPit Innで働いていたという汐見さんが経営するFARMも俺は初めてだった。
ここにも熱心なファンが多く集まってくれた。なかでもタケッちゃんの熱心なファンである熟女トリオのために、終演後、楽屋で生ギターをソロで披露するなんて言うハプニングもあって、とどこおりなく10日間のツアーは終了した。
やはりツアーはバンドを逞しくするものである。ULTRA TRIOも一皮むけた気がした。
機会を作ってレコーディングするのもアリかな、などとも感じている今日この頃である。






























Medicine Bag 、リーダーの御薬袋一男の苗字に因んでつけられたこのバンドの結成は1979年にさかのぼる。
今は無き心斎橋のJAZZ喫茶の老舗、DUKEに出演していた、「みなえかずお3」こそこのバンドの原型なのだ。 当時、木曜がこのみなえかずお3、金曜がNANIWA、土曜が東原力哉、水野正敏、今出哲也のTRANSPORTがレギュラー出演していた。この時代の秘蔵写真はこちらへ
http://osaka.cool.ne.jp/ikechanyo/naniwa/index.htm

そんな中でNANIWAの人気がパワーアップし、オリジナルドラマーの鎌田清の脱退に伴い力哉が参加する事となって、俺もその活動の中心をNANIWAで費やす日々が続いた。にもかかわらず、Medicine Bagの活動は細々と継続された。
結成11年目の90年に初のCDをリリースした後、現在までに合計3枚のCDがリリースされている。
(詳しくはWhat Dr.KO did へGO)

考えてみれば21年と言うのはカナリ長い年月になってしまっているが、これもひとえにリーダー御薬袋一男氏の
人徳とバンドとしての無欲のなせる技といわざるを得ないだろう。

一口で21年と言ってもそれはそれは色んなストーリーがあった。
20年前、夜な夜な御薬袋さんの枕基に
異臭を放つ液体が滴り落ち始めた。やがてそれはウジ虫を伴って枕基を汚す。どうやら天井裏で猫の死体があるようだった。
自らでの処理をためらったリーダーは中村建治に電話し、俺と建ちゃんがゴーストバスターよろしく天井裏の謎の物体を処理する、と言った事もあった。

8年前にはリーダーに大きなモデルチェンジが訪れた。
それまで外出中はほとんどアルコールを口にしなかったリーダーであったが、その日は俺の誕生日と言う事もあって、テキーラのショットを連発、挙句の果てはロンリコ151も連発し、一気に火を吹いたリーダーは建ちゃんのカバンに
ゲロまで吐いてしまった。あまりの酸の強さに建ちゃんのカバンの取っ手がとれてしまった事は伝説になっている。
翌日のリハーサルに2時間遅刻したリーダーは開口一番、
「どうもふつつか酔いで、」
「身体、インデアン、」
などとわけの分からない事を発しながら、以後の打ち上げでの帝王振りの序章を飾ったのであった。

これを契機に、それまでは蕎麦殻の枕ですら頭をつける事が出来なかったほどきつい
蕎麦アレルギーだった彼が、今では必ず演奏前に蕎麦をすするほどに体質が変わってしまったのも七不思議のひとつとして語り継がれている。

そんな
ご長寿バンドのMedicine Bagが4ヶ月ぶりにライヴをした。
今回はゲストに土岐英史、そして最近は準メンバーとも言える、古谷 充を迎えた。両日共、土岐さんの現在の一番弟子とも言える、田中直子が飛び入り参加した。ゲストのお二方には申し訳無いがナオちゃんの人気は相当なものである。
特にRUGTIMEの日などは終演後ファンとの撮影会が行われたほどなのだ。

次回のライヴは12月が予定されている。
ご長寿サウンドを堪能されてはいかがだろうか。









6月の公演も好評だったCRUISINGが六本木のSTB139に登場である。
老眼鏡(失礼!)を落とした土岐さんはリードの調整にてこずっていたが、携帯ルーペを使う事によってベストポイントは見つける事が出来たようだった。

この日は一般のお客さんのみならず、ミュージシャン関係のゲストが多かった。
まずトップを切ってインターミッションの時に楽屋に飛び込んできたのは恐怖のオルガンプレーヤー
KANKAWAである。
1回目のセットを終えて一息ついている所に爆音にも似た関西弁でKANKAWAは登場した。人の頭を見て転がり回りながら腹を抱えて笑う彼を見て、いとおしく思ってしまう俺はやはり変態なのだろうか?
適切とも、不適切とも言えない、我々の演奏に対する感想を一方的にまくし立てる K をさえぎるかのようにマネージャーが2回目のセットが始まる事を伝えに来た。
「なんか、休んだ気がしないね。」
土岐さんのつぶやきに、あまりの暑さにシャワーに入った大石学以外の3人はうなずきながら階段を上った。

ステージ・サイドには
Zoocoが待ち構えていた。
レコーディングの合間に覗きに来てくれたらしい。
秋のレコーディングには俺も参加するかも知れない。

今回のゲストの圧巻は終演直後に現れた。
演奏を終え、舞台から去ろうとしたその時に「清水ぅ〜〜!」という叫び声が会場に響いた。
俺は思わず眼を疑った。
中学時代のバスケット部のコーチの
南條先生がそこにいた。
我が和大附属中学のOBだった彼は当時、和医大の学生だったが、ボランティアでヘッドコーチをしてくれていたのだった。県大会で優勝した日の事を俺は今でも鮮明に覚えているのだ。
現在は糖尿病の第一人者となって、世界糖尿病学会の会長も務めておられる。
それにしても客席から名指しで挨拶されたのは俺にも初めての経験だった。

終演後はNYのハーレムから帰ってきた
マサヨ・クィーンBLACK BOTTOM のKooちゃんらと共に俺のリビング・ルームTEMPSに向かった。今宵も土岐先生は絶好調だった。
RAGと違ってトキ・スペシャルこそないがロング・ドリンク・グラスでウォッカ・ソニックを軽快に流し込んでいた。
マサヨ・クィーンがコビッチ振りを発揮してベティー・デイビスに身をゆだねつつフロアで踊る傍らで、土岐先生の講義が大阪音大の後輩でもあるKooちゃんを前にボルテージを上げていった。
もちろん題目は
女性論である。
果たして参考になったのだろうか?

次のツアーはクリスマスから年末にかけてだ。
今度は誰に会えるのだろうか?















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