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2月に結成されたKANKAWA DRIVEの今年2度目のツアーは前回とは全く違う意味を持つものだった。
前回はKANKAWAのアルバム発売記念という事もありアルバム収録曲を中心に構成されていたが、今回はこのバンドでのライヴ・レコーディングをすると言う大きな目的があるのでそれぞれのメンバーの書き下ろしを中心に合宿まで計画して行われたのであった。
今年に入ってからすっかりJAMにハマッてしまったKはもはや普通のスタイルで演奏する事は出来ない身体になってしまっているのだ。ましてはいわゆるFUSIONというスタイルにすっかり飽きてしまっているKはその名もCONFUSION TOURと銘打ってこのツアーをスタートさせた。

合宿編 うず潮温泉とシャンパン
淡路島の南西の端の鳴門大橋を見下ろす山の中腹にある"うめ丸"という観光旅館に作られたこのスタジオは俺にとってこの上なく重宝なスタジオなのだ。NANIWAの合宿やインディーズ時代のコブクロのレコーディングなどこのスタジオには何度もお世話になっている。
宿泊施設、食事、温泉、プライベート・バーと音楽を創るにあたって必要な全てのホスピタリティーがここに凝縮されているのだ。これ以上に集中できる環境は考えられない。
オーナーのピンクフロイド・フリークの藤川氏には本当に感謝したい。
東京からのメンバーを徳島空港でピックアップして合宿はスタートした。
みんなリラックスした、いでたちだったが中でもKは群を抜いていた。カジュアルなショートパンツで決めているのはいいのだが何故か足元は素足にお洒落なメッシュのスリッポンだった。
考えてみたら、ハーレムあたりのデリではよく見かけるファッションではある。K以外の日本人では決して様になる事は不可能なコーディネイションと言える。
スタジオには既に先乗りしていたスタッフにより万全の準備が整っていた。早速持ち寄った曲のスコアのコピーを取り、リハーサルはスタートした。リハーサルと言ってもこのバンドの場合完成品を作るためのものではない。それぞれの曲が持っている可能性をチェックすると言った方が適切だろうか。とにかくいきなり音を出すと言うより、それぞれの曲が持つムードを噛み締めながら、どのような世界に展開できるかを探るための時間と言える。
特に今回Kはこの事に対して敏感で、なかなか不用意には音を出さない。そんな彼の姿勢に、このツアーに対する意気込みが並大抵なものでない事を全員確認したのだった。
リハーサルが終り遅めの夕食は、ここ、うめ丸名物の鯛づくしだ。
姿造り、俸禄焼き、荒だきを焼酎で流し込み、最後はこれも淡路の名産のそうめんで締めた。
続いて鳴門大橋を見下ろす大浴場で汗を流す。俺はフライングして先にプライベート・バーへと転がり込んだが、やはり疲れを癒してくれるのはシャンパンだ。シャルドネが生んだ奇跡の泡は何故にこうも身体に染み入るのであろうか。
月明かりに映し出される鳴門の潮の流れと大橋をぼんやりと眺めながら明日から始まる長い旅に想いをはせるのだった。

広島編 小さなスタンド
ツアー初日は広島はお馴染みBadlands。最近俺と同じヘアースタイルにしたオーナーの松浦氏が迎えてくれる。
さすがに俺と松浦氏とKが並ぶとカナリの雰囲気が出来上がってしまう。
おびただしい量の機材の約半分強を降ろし、広いとはいえないBadlandsのステージで快適空間を作ってくれているスタッフには本当に感謝したい。
実はこのツアーからKも遂に携帯を持つようになったのだ。ご本人もまんざらではない様子で、それでも楽屋でこまめにメールにレスを打っている姿は何とも言えないものがあった。とは言え最近は複数のプロジェクトを抱えながら、お台場のTLGのプロデュースも兼任している多忙な方。今までモバイラーでなかったのが不思議なくらいではある。
初日とは言え大きな事故も無く、また大きな誤解も無く順調な滑り出しと言えた。
既に旅モードに入っているKは演奏が終わってもエネルギー値は全く落ちる気配を見せなかった。明美コール(注)を連発しながらもエエ感じで1次会は終了した。
さらにイットこう、と言うことで友人のスタンドとでも言うべき小さなスナックに突入した。ここでKは一気に爆発したのは言うまでも無い。
「こういうスタイル、いいねぇ〜。俺も将来こういうの1軒ぐらい持ちたいもんやね。」
つぼいのりおの傑作"金太の大冒険"をカラオケに合わせてフルコーラス絶唱される頃には、俺は既にカウンターで果てていたのだった。
(注) Kはご機嫌になると女性を全て"明美"と呼ぶ癖がある。しかしながらその由来は未だに謎である。

三朝編 温泉と美人女将
さあ、いよいよツアー前半のハイライト、三朝温泉だ。Kのツアーには温泉は欠かせない。前回この近くの倉吉に訪れた時などはサウンド・チェック前に関金温泉にわざわざ立ち寄ったぐらいなのだ。今回も会場に程近い老舗の温泉旅館をインターネットでブックしていたのだった。オソルベシ、Kにも歩み寄るITの波!
サウンドチェックもそこそこに、Kの心は既に温泉にあった。即行で宿のチェックインを済ませ、温泉を堪能したKはロビーに浴衣姿で現れた。
「温泉に入ってから普通の服なんて着る気がしないねっ!」
ツルツルの顔面でご機嫌なKであるが、それでも浴衣に下駄履きで衣装の入ったスーツケースを転がす姿はone & onlyではあった。
会場の三朝総合文化会館にはなんと楽屋に直結する入り口は無く、多くの一般客が待つ入り口から俺たちも楽屋入りする事となった。一瞬ためらったKではあったが、すぐに気を取り直して下駄の音を響かせながら楽屋へ向かう彼の姿はとてもHipだった。
演奏が終わるや否や宿に戻った俺たちはそのまま1階のラウンジで打ち上がる事になる。
歴史を感じさせる内装は俺たちバンドマン出身者にとっては独特の哀愁を想い起こさせるものがあった。
旅館と言えば女将である。ここ花屋別館も美人女将が美しくも取り仕切っておられた。
則竹の「イングリッド・バーグマンに似てらっしゃいますね。」の言葉にはさすがに少し驚かされたが、それでも彼の言葉が過度に飾られていない事は明白だった。
そんな女将の旅館魂を伺いながら、Kの絶唱する"大阪で生まれた女"を拝聴しつつも、味わい深い温泉宿の夜はふけて行くのだった。

神戸編 同級生の狼狽
前回のツアーの時はグルメ三昧だった、神戸公演、今回も早めに入って極上の中華をランチにすべく、我々は朝食を我慢して一路中国縦貫を東に向かった。
ところがものの一時間も経たない内にKが切り出した。
「みんな、神戸に着くまで我慢すんの?」
哀願にも満ちたこの言葉に車は滑るように勝央のサービスエリアへと吸い込まれた。
「神戸に行ってから例の中華行きますかネェ?」
カツヲの質問に彼以外は無理であろう事を伝えると、彼は観念したように定食をぶち込み始めた。
地方を回ってCHICKENに帰ってくるとさすがに安心する。場所もエンジニアもスタッフも気心が知れている。実にスムースにサウンドチェックを終えた。
絶好調の俺たちの演奏に反比例するように客席は静かだった。昨日までの地方でのリアクションとの余りの違いにいささか拍子抜けしたのは事実だった。多くのファンが入待ちまでしていたのにこのギャップは何なんだろう?
とは言え火が付いてしまった俺達をもう誰も止めることはできない。結局この日もゲロゲロな演奏に終始したのは言うまでもない。それにしても不思議な観客だった。ま、楽しんでもらえればそれでいいのだが、喜怒哀楽はやはり露骨にしてもらいたい。
多くの友人に混ざってKの同級生の女性が娘さんを連れて楽屋を訪ねてくれた。Kの瞳もいつしか中学時代にフラッシュバックしているようだった。昔話に多いに花が咲き、彼女との別れ際にKは軽やかにこう言った。
「また今度浮気しょうな。」
その瞬間の娘さんの固まった表情は忘れられない。
「冗談やがな、冗談。」
むなしく響くKの言葉に送られる彼女に妙なトラウマが残らない事を祈るばかりだった。

浜松編 もう身体パンパン
浜松ではいよいよテープを回す。おっとハードディスクレコーディングだったんだ。ディスクを回す、RECボタンをクリックする、うーん、これからは何と言ったらいいんだろう。とにかくこのツアー初の録音なのだ。保険で他の場所も2MIXは押さえているもののPROTOOLSのI/O(アイオー;アナログとデジタルの変換機)を3台駆使してのマルチレコーディングなのだから気合いも入ると言うものだ。
会場の銀座ライオンはその名の通りサッポロのビアレストランだ。おそらく定期的にライブをしているビアレストランはここぐらいなものだろう。俺はこう言ったシチュエイションがとても好きだ。
さすがに簡易PAではウルトラローが望めるわけではないが、こう言った日常と近い場所で演奏できるのが何より嬉しいのだ。UGANDAの時もライブレコーディングしてくれた玉ちゃんが別室に一式をセットアップしてくれている。
既に3回のステージをこなしている俺達にもはや怖いものなど無かった。ところがステージでは更にとんでもないことが起きるのだ。とにかくこの日の是ちゃんは素晴らしかった。ここ浜松での一番人気に恥じない、ほとばしるエネルギーに満ち溢れるプレ―の連続に我々も大いに感動した。ただし自慢のVOXのスピーカーがぶっ飛んでしまった事はさすがに気の毒だった。
とは言え合宿から数えて5日目ともなるとKの身体もかなりパンパンになっているようだった。
「こういうスプレーは効果があるのかね?」
Kがそう言いながら、本番を前にしてパンイチ姿で身体中におびただしい量の冷却スプレーをまきつける姿は微笑ましくもあった。
まだツアーは後半分残っているのだ。

上越編 忘却の美学
北越シリーズはカツヲの寝坊でスタートした。なんと発射5分前に連絡をしてきたものだから、それこそ朝一番爽やかな則竹がダッシュでキャンセル手続きをしてくれたお陰でカツヲは無駄金を払わずにすんだのだ。則竹に特上のディナーをご馳走すべきだろう。新潟での演奏と言う情報だけで上越新幹線に乗り込んだカツヲが、実は越後湯沢で乗り換えなければならない事を知ったのはかなり後だったと言うから薄氷の移動ではあった。
遅刻はしたものの、さてそろそろサックスのサウンドチェックかなという時に絶妙のタイミングで現れたカツヲにツキはまだ残っているようだった。
この三日間のデイオフはメンバーにとって、特にKにとってはこのうえなくいい時間だったようだ。それでなくても毎回フレッシュなDRIVEの演奏はより一層鮮度を増したようにすら感じた。電圧低下で心配されていた浜松でのPROTOOLSのデータが全て残っていたことに気を良くしたKは、
「もう前回までの演奏は完成した。この二日間、徹底的に潰しにかかるデ!」
と本番前から全開でまくし立てるのだった。
本番前のKは事の他静かだ。楽屋の片隅に置かれた一畳の畳の上にいつものようにパンイチであぐらをかいて、自宅から持ってきた新聞の折り込みを一枚一枚丁寧に目を通しては、キチンと畳んで積み上げて行く様からは、とてもその後に展開されるあの動物的なカオスは想像できないのだ。
地方特有のストレートで熱い観客のパワーも手伝ってこの日の演奏もいくつかの新しい展開が生まれた。ポリリズム系の面白い展開が印象的ではあったが、いざ終わって見れば何をどうやっていたのかをど〜〜〜しても思い出せないのだ。ひとたび冷静な状態に戻ってしまうと、なんのアイデアも浮かんでこないから不思議だ。
俺達が毎日フレッシュなのは実は単に物忘れが激しいだけなのだろうか?

小矢部編 怒りの支配人
のどかな田園風景に突然現れた地上100mのタワーに度肝を抜かれたがそのタワーを中心にいろいろな施設と共に会場があった。あいにくの雨であったがその雨のお陰で一面の芝がいっそう美しかった。
ここにも温泉がある。サウンドチェックが終わるや否やKが温泉に飛び込んだのは言うまでも無い。もはや浴衣での会場入りは通常のものとなりこの日もKは快適な表情で楽屋入りした。
ステージに立った俺は会場から聞き覚えのあるやけに倍音の効いた声をキャッチした。
Martyだ。そう言えば金沢からここ小矢部はそう遠くない。旅先で友人に会うのはまた格別だ。とは言え俺たちの演奏が長過ぎて、その後で用事のあったMartyとは会えずじまいだったのは残念だった。
既に2月の頃とは別の次元に突入した感のあるDRIVEはこの日も快調に飛ばした。
そして打ち上げである。この日はKの提案もあって有志を募っての公開打ち上げとなった。ホテルの1階のレストランでパーティーが始まったまではよかったが、会場の経営が役所がらみと言う事もあって、時間厳守が貫かれてしまった。もっともある程度のところで切り上げない限り、いつまでもずるずると行ってしまうのが俺たちの常だ。ここは指示に従うとしてもその後がひどかった。
我々の部屋でパーティーを続けようとしていると、これを実力行使で阻止しようとしてきたのだ。隣のいくつかの部屋ではドアを開けっぴろげにして宴会しているというのに、もっともこれは役所関係の研修会なのだろうけど。
是ちゃんなどはもっとひどい目にあってしまった。久しぶりに会った友人達と部屋で談笑していると、なんと支配人自らがマスターキーを使って部屋に侵入して来たと言うのだ。サービス業であるべきホテルのホスピタリティーはここにはどうやら存在しないみたいらしい。あの温厚な是ちゃんが血相を変えて部屋を飛び出してきたのにはさすがに驚いた。
主催者の計らいでようやく1軒遅くまで開けてもらうように交渉してもらって、パーティーはなんとか続行可能となった。小さなステージもあるラウンジ風のスナックは、壁に手書きで"やきそば"とか"やきめし"とか書かれた紙が貼ってあるような場末感に満ち溢れた素晴らしい場所だった。あちこちにX'masでもないのにイルミネーション・ランプが張り巡らされている。ほこりにまみれたコンセントを引きずり出してこれに電源を入れると、自然に俺たちの怒りも収まっていった。
「ハーレムに帰ってきたみたいやね。」
Kもようやく落ち着いてシガーに火を付けるのだった。
この日密着取材をしてくれたFMとやまの高岸恵子さんが担当される"ホール・フレンズ・クラブ"のHPにこの日のレポートやインタビューが詳しく載っている。
http://www.fitweb.or.jp/~k-report/kan-int.htm

お台場編 天才少年現る
ようやくツアーも終盤になり、Kのホームとも言うべきお台場のT.L.G.に帰ってきた。この日は自宅から愛車で登場したKだったが、あいにくの大渋滞でお台場を目前に湾岸を降りたもののゲット・ロストしてしまったみたいだ。彼はNY以外の道を走るときにはカーナビに頼る事をお勧めしたい。やや遅れて到着した彼を待ち受けていたのは、この日のショーのオープニング・アクトを務めるエレクトーンのコンテストでも優勝したと言う小学6年生のサイトウアキカズ少年だった。何でも彼はコンテストの時にKの名作"Mr.K"を演奏したと言うから驚く。
彼のサウンド・チェックに全員の注目が集まった。その曲用にプログラムされたフロッピーをロードすると彼はいきなり演奏を始めた。あまりのモニターの爆音に一瞬たじろいだかに見えたが、それでも彼は黙々とひとりでCDに録音されていた音楽を再現始めた。なにより彼が身体全体を使って表現している姿勢に心を打たれた。足の使い方も絶妙で時にはキックを、また別の時にはベースをと、まさに縦横無尽なのだ。ハイラムのギターソロの所などは音色もよく出来ていて、思わず笑ってしまった。後ろで見入るKの眼にも驚きは隠せないようだった。
さていざ本番を迎えようと言うところでひとつ問題が起こった。修理されていたはずの機材が未だに不良だったので土壇場で再び機材を代替機に戻すといったハプニングはあったのだが、どうやらそのゴタゴタでマネージャーがブッ飛んでしまい、Kの衣装ケースを持って帰ってしまったようだのだ。慌てて連絡をとったものの衣装はなかなか到着しない。
とりあえずKはいつものパンイチ状態で出番を待っているのだが、さすがのKでもまさかこれにクラウンを被って登場するワケにもいかない。開演5分前、最悪の事態も考え根性を決めるか、といったところに衣装は到着した。
まずサイトウ少年の演奏だ。さすがにコンテストの時とはあまりにも違う雰囲気に緊張は隠せない状態だったが、みんなの、「思いっきり楽しんで来いよ!」の声に後押しされるようにステージに向かった。
俺は彼に「こんばんは、KANKAWAです。」って言ってまず客をつかんでから演奏しろ、と提言したが、彼はその方法は選ばなかった。
えらく小さい主役の登場に会場は一瞬戸惑っているようだったが、彼の演奏が始まるとそれは徐々に驚きに変わっていった。本番でもサイトウ少年は物怖じする事無く身体全体を大きく揺らしながら演奏しきった。舞台袖は大拍手喝采である。ところが観客席からはそれほどのボルテイジは感じられなかったのは残念だった。まだ何が起こったのかが実感できなかったのだろうか?
演奏を終えて彼はぽつりと言った。
「今までで一番楽しかったです。」
将来が楽しみでしかたないのだ。

郡山編 老夫婦とジミヘン
想えば2月のツアーのとき、かの有名な"則竹棒立ち事件"が起こったのも、ここ郡山のHipShotだった。あの時はツアー初日だったが、今回は楽日である。どうやらDRIVEにとっては郡山は縁の深い土地になりそうだ。
ここでも浜松に続いて2度目のPROTOOLS録音を試みる。2MIXの保険はあるものの、やはりマルチで録った音源で勝負したいのは本音だ。
ここ郡山の観客は熱い。熱い観客は他でも大勢存在するがここは特別だ。やはりオーナーの前田氏やスタッフの精神が観客にも伝わっているのだろうか、非常にポジティヴな空気に満ちたここを収録の場所に選んだのはそんな理由もあったからなのだ。
果たして観客は半年振りの俺たちを待ち構えるように熱い空間を創ってくれたのだった。そんな空間で演奏がハマッていく様はやはり格別だ。俺も何度かトランス状態に陥りそうな恍惚感と隣り合わせでプレイ出来た。最低限の決まり事であらゆるトライを続けて来たDRIVEも、もはや確信犯になりつつある事を実感できたツアーだったと言えよう。
打ち上げはまず居酒屋になだれ込み、地元のミュージシャンらも参加してくれ、とても楽しい時間となった。
続いての2次会は前回、則竹とカツヲが朝まで過ごしたと言う老夫婦の経営するレーザーディスク・バー(そんな言葉あるんかいな)に突入した。それにしてもここのコレクションは見事だった。それこそあらゆるジャンルの音楽が一同に会すると言う表現がピッタリで、それが集められただけではなく、ここのオヤジがまたやけに詳しいのだ。
ちょうど我々が店に入ったときもその日の早朝、アメリカで行われていたテロ被害者救済コンサートの模様が既に録画されて流されているのだから、この老夫婦のアップデイト振りも半端じゃない事が分かっていただけるだろう。
気分が高ぶっている時はそれをクールダウンするか、更に上げるしかない。俺は迷わず、67年のモンタレイ・ポップ・フェスティバルのジミヘンをリクエストした。俺も久しぶりに見たワケだが、やはりこの演奏は20世紀最高の名演のひとつに数えられていいだろう。
疲れ切っているはずの俺たちの耳に、この上なく心地よく突き刺さってくるジミのギターとメッセージはいつまで続いてくれてもいい、と言うほどの感慨を与えてくれた。
特に彼の放つメッセージはそれが67年である事を全く感じさせないリアリティがあったのには驚かされた。
彼に先見の明があったのか、それとも時代がベトナムに戻りつつあるのだろうか。
フレッシュネスの何たるかを再認識しつつ、確信犯となったDRIVEは1月のツアーに向けて
各自別々の旅に出るのだった。さあ、次はMIXだ。
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