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想えば再始動を前提にNANIWAがリユニオン・ツアーを行って早くも2年の歳月が流れた。別に意図があったわけではなかったがそれだけそれぞれのメンバーが抱え込んでいるプロジェクトも多かったと言う事だ。リキの体調不良による戦線離脱も理由のひとつだったが、ここへ来てようやく全員の足並みがそろう事となった。こんな嬉しい事はない。大阪と東京での公演を軸にジャズフェスへの参加も含めて5公演を行う事になった。今回は前回と違ってレコーディングのスケジュールも並行して行われる。おのずとメンバーのモティベイションも変わってくるというものだ。

今回の合宿も前回同様、南淡路の老舗観光旅館うめ丸にあるStudio Chicken George Southern Awajiで行う事となった。ここに関する詳しい事はBack Numberを見てもらうと分かると思うが、とにかく音楽を作っていく上でこれほどいい環境がそろっているところも珍しい。自らの機材を車に積み込んで我々はまず明石大橋渡ったところにあるサービスエリアに集結した。ここからコンボイを組んで南淡路を目指したわけだが、リキの機材車だけが、妙にふらついている。元来淡路は風の強いところなので高速での運転は気を使うものだが、それにしてもゆれが激しい。後で聞くとどうやら、弁当をゆっくり食べたかったリキが、アクセルだけを全開にして、同乗していた俺のローディーの大東にハンドルを握らせていたらしい。大東は何度も運転を変わることを嘆願したらしいが認められる事も無く、彼一人汗だくで南淡路に到着した。

初日はまずは記憶のチェックをするために既存曲を中心にリハーサルした。前回に比べてメンバーそれぞれのコンディションもかなりいいようで、実にスムースに進行して行った。二日目はいよいよ新曲にとりかかった。今回は特にカズボンの気合が印象的だった。曲の仕上がりもさることながら、プレーも2年前に比べ、更に進化していたのは事実だった。どうやら実生活でもよほどいい事(もしかして悪い事も?)あったようだ。曲の完成度はまだまだこれからだが、俺が以前からNANIWAでトライしたかった人間DRUM'N'BASSも実にスリリングな展開が繰り広げられた。今回の再始動の成功に対する俺の確信はますます強いものになってきたのだった。

中日には大阪の古くからの友人たちが鍋を持って乱入してくれた。松茸入りのすき焼きと言う豪華さだったが、さすがにプロの味付け、疲れた身体に醤油と砂糖のハーモニーは完璧だった。朝方まで宴は続いたが、カズボンはその後大東を引き連れて堤防に向かった。その後9時半まで頑張ってなんとチヌ6枚、グレと小ぶりの真鯛を1枚ずつ、そして蛸1匹と見事な獲物とともに帰ってきたのだった。そのままそれらはその日の晩餐に調理されるのだった。

最終日はいよいよ初日のなんばHatchに向けてのリハーサルに終始した。今までのNANIWAの歴史の中でも最も大きな充実感を持ってツアーに迎えれそうな気配だ。ステージが始まるのが楽しみで仕方ない。久し振りにそんな気分で、俺と同じヘアー・スタイル(?)にしたChicken Georgeのオーナー、児島進も加わり、最終日も夜を徹して宴は続いた

いよいよ新しい歴史が始まろうとしているのだ。







ワールドカップの終了とともにスタートした石田長生D.N.Aツアーだったが、7月1日、吉祥寺での初日を終え、2日の移動日に俺と石やんは迷わず東京にとどまる事にした。なぜならこの日は連敗中の阪神タイガースが神宮にやってくる日だったからだ。石やんとは5月の春一番が終わった後も最後のセッションをお断りして甲子園に走ったわけだったが、その時にも俺に神宮での参戦を勧めてくれていた。

実は神宮は俺にとっても特別な場所なのだ。忘れもしない1985年10月16日、俺は隣にある日本青年館でNANIWAのコンサートをしていた。おりしもその日はタイガースがマジック1で神宮でのゲームをする日だったのだ。東京駅から会場にタクシーで向かったわけだが、俺たちが会場に入る頃には既にファンの列は青山通りまで続いていたほどの熱狂振りだったのだ。会場の日本青年館のビルの全ての入り口にはここの屋上からは神宮球場は見えません、と言う張り紙がかなりの数、貼ってあったのが印象的だった。俺は迷わずマネージャーに頼んで、屋上の特等席をキープしてもらう事にした。

アンコールも早々に切り上げ、屋上に駆け上がった俺は同点で迎えた10回の攻防を見る事にした。青年館の屋上は丁度三塁側の内野席の延長線上にあった。神宮球場のスタンドが一塁側のほんの一部を除いてすべて黄色一色だったのがとても印象的だった。10回の裏を中西が無得点に抑えた瞬間、待ちに待った22年ぶりの歓喜が訪れたのだ。何度も宙に舞う吉田監督の姿が現実のもであるという喜びはとても説明できるものではなかった。おそらく今までの自分の人生の中で最も幸せだった瞬間はこのときを置いて他に無かったといっても過言ではないのだ。

そんな想い出の神宮で実際にゲームを見るのは実はこの日が初めてだったのだ。17年前と違って今回は信濃町側から球場に向かった。アウェイであるにもかかわらず、沿道は黄色いメガホンを持つファンがほとんどであるように感じた。事実球場に入るとスタンドはレフト側から埋まっている。バックスクリーンから三塁側に至るまでは黄色で埋め尽くされているといった状況が展開されているのだった。

先発はなんと中4日で井川だった。オールスター前でのスクランブル・ローテーションが始まったと言う事だろう。元来神宮とは相性のいい井川は危なげないピッチングで快調に飛ばした。特にこの日は内角へのストレートが見事で、それだけにチェンジアップの威力が倍増しているようだった。坂元の押し出しでもらった1回の1点だけと言う重苦しい試合展開ではあったが、井川のピッチングの素晴らしさがゲームを引き立てていた。特に終盤に入ってからの勝負どころでそれまで140km前半だった球速140km後半を連発するあたり、心憎いばかりの信頼感を感じた。

結局井川の見事な完封で2-0でゲームは終わった。神宮のもうひとつの魅力はこれからだ。帰路につく選手たちはダッグアウトから一度グラウンドに出て、内野と外野の間の通路からバスに乗り込むのだ。それぞれの選手の試合後の表情を間近に感じる事が出来る数少ない球場なのだ。井川を見送る石やんの幸せに満ちた表情は忘れる事が出来ない。

あまりの忙しさにこのレポートを書いているのはなんと9月末という有様だ。まさかこの井川がそれからの約2ヶ月間、勝ち星から見放されるとは誰も予想できなかったのではないだろうか。いやはや、シーズン通して活躍すると言う事はそうとう大変なことなのだと言う事を改めて痛感した。


 
 





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