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なんばHatch
淡路での3日間の合宿を終え、その足で俺たちは初日の会場であるなんばHatchへ向かった。俺とこの日のスペシャル・マネージャーであるChicken
Georgeの児島進を先頭にHatchの搬入口に突入した。その状況に出迎えに来てくれていたHatchのブッキング・マネージャーである津田清人は半ばあきれた顔でため息混じりにつぶやいた。
「やばいっすよ。二人並んでたら、いかつ過ぎまっせ。」 |
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会場でNANIWAの結成当時からのエンジニアの上赤阪幸司と合流した。当時はひよこだった彼ももはやHIBINOを代表するエンジニアになっている。慣れた手つきでシステム・チェックしている姿をまだ観客のいない会場で眺めていると、年間百数十本ものライヴをこなしていたときの事が昨日の事のように想い出された。いよいよ再びドラマが始まろうとしているのだ。
会場とは眼と鼻の先の自宅で一風呂浴びてきたリキも加わり、サウンドチェックが行われた。初めての会場だったので、モニターのEQを調整するのに少し時間はかかったが、合宿の効果か、内容的には大きな問題も無く、本番を迎える事が出来た。
さすがに初日だけに、後半いささか膨らみ過ぎてしまった感もあったが、空白の時間が一瞬にして埋められていく事実を心から楽しむがごとく、演奏は一気に終演を迎えた。
手応えを感じた、と言うよりは、何より目一杯演奏できた事自体が無性に嬉しかった。
こんな時間がこれから何度も訪れるのか、と考えると何故か笑いがこみ上げてくるのだった。
Hatchでの模様は池ちゃんのレポートで
http://www.casba.ne.jp/ikechan/naniwa725/ |
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駒ヶ根

続いての駒ヶ根でのジャズフェスのリハの日、俺は長崎で石やんとのスケジュールが入っていたので、ゼノンに代役を頼んでサウンド・チェックしてもらう事にした。俺といえば午後2時に長崎の諫早でのステージを終え、高速バスで福岡空港へ向かい、羽田から六本木のBody & Soulの終演を待って、森下滋の車に乗せてもらって駒ヶ根入りするという作戦をとった。駒ヶ根に着いたのは午前三時を回っていた。残念ながら宴は既に終わっており、開いている店も無いので、ゲルシと彼のスタッフでもある実兄と3人でホテルのロビーで地味に酒を酌み交わし仮眠をとることにした。
駒ヶ根からは当時のNANIWAのチーフエンジニアだったミッチーこと三矢晃一が加わる。あいにくの曇り空だったが俺たちは早速ロッジに用意されている昼食会場に向かった。アウトサイドのカフェテラスでは既に食事を終えた則竹がいつものようにさわやかな笑顔で俺たちを迎えてくれた。大広間は既に宴会状態である事は言うまでも無い。俺たちは迷う事無く是方組に乱入した。前日のリハを俺の代わりにしてくれたゼノンに礼を言いつつ、会場に向かったのだ。
歴史ある駒ヶ根だが、個人的には参加するのは今年が初めてだった。このイベントが始まったのがちょうどNANIWAが解散した頃だから仕方が無いというもののそれから既に十数年の月日が過ぎ去っていたのである。さすがにこのイベントは歴史に裏付けられた風格が漂っていた。というよりはどこか懐かしい、いわゆるジャズフェスの雰囲気に満ち溢れていた。想えば80年代はこういったイベントがいくつもあったものだ。
それこそ毎年夏場と言えば毎週末掛け持ちで全国を飛び回ったものだった。その頃のどこかのんびりしたジャズフェスの匂いに満たされた駒ヶ根で酒も進むと言うものだ。本番前と言うのに。 |
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俺たちが会場に着いて間もなく松岡直也GROUPの演奏が始まった。既にエンジン全開のリキは躊躇なくステージに乱入した。もちろんダンサーとしてである。こういったステージサイドのゆるさこそジャズフェスの醍醐味だ。以前確か長岡でのジャズフェスでの事、MALTAが熱演している最中、坂田明さんが
「おい、酔っ払いども、集合だっ!」
との掛け声のもと、ステージサイドの妖怪どもがラインダンスよろしくステージを横切って行った時には、さすがに舞台監督も渋い顔をしていた事があった。
変わって俺たちの演奏の時には"高野サンバ"の時に今度はゲタ夫さんとムチャキーノが乱入してきた。シェケレを片手にゲタ夫さんの勢いは止まらない。遂にマイク・ジャック状態でコール&レスポンスが始まった。俺たちは喜んでリキのソロパートを彼らに明け渡し狂乱のステージは幕を閉じた。これだからジャズフェスは止められない。
詳しいレポートは再び池ちゃんのサイトへ
http://164.46.153.202/ikechan/komagane/

STB139
2年ぶりの東京、2回は2Daysなので前回のように入場制限はしなくてよさそうだ。前週の駒ヶ根でほとんど勘も蘇ってきたようでメンバーにも余裕が伺える状態だった。無駄も省かれ、より研ぎ澄まされていく様に自分たちでも新たな快感を感じ取れてきているようだった。NANIWAのケミストリーが働き出してきたのだ。
楽屋と言えばやはり酒はつきものだ。しかもそれがシャンパンときたらこんな幸せな事は無い。本当にあの奇跡の泡で疲れも何も全て飛んでしまう。今回は青柳にモニタースピーカーを提供してくれているFUJITSU-TENのスタッフからドンペリが差し入れされた。俺は機材提供よりもこっちの方が断然嬉しい。当然、ステージ上で回しラッパ飲みでの一気だ。リキは飲み干したかに見えたシャンパンを見事に噴水のごとく吹き上げたと思えば、建ちゃんはそのままだらしなく口を開け、衣装と舞台にご馳走する有様。いやはや俺にはもったいなくてとても出来ない技を披露してもらった。
この二日間の模様はがたがた言っても始まらないので、普段より少し多めのスナップで楽しんでいただきたい。
詳しいレポートはglobal-artistのサイトへGO!
http://www.global-artist.net/lr0208/naniwa_020823.htm

青森

東京での二日間のレコーディングを朝方まで敢行し、その足で羽田へ向かっての青森入りとなった。しかも機材都合でドラムのトランポが間に合わず、なんとリキの機材は手荷物扱いで運ぶと言うスーパー裏技でとり行う事になった。5人のパーティーに対して18個口。何事も無いように振舞いつつ、涼しい顔でチェックインしたわけだが、JASは見上げたものだ。一切のエクストラ・チャージを要求する事無く無事チェックインは終了した。これならトランポに金をかける必要が無いわけだ。とは言え、毎回これをするのもごめんこうむりたいのも事実ではある。
青森空港に着いてからも大変だ。空港に備え付けのキャリー4台を満杯にしてプロモーターが用意してくれたワゴン車2台に流れ作業よろしく積み込む。普段空港職員が速やかにこなしてくれている作業のありがたさを改めて感心した次第だ。
青森でのイベントは商店街のイベントだ。予想はしていたが、かなりのさらし者状態を彷彿させるセッティングになっていた。しかも舞台が会議テーブルに毛の生えたようなものだったから、共振してボトムを出す事が出来ない。200kHzあたりにピークがあるので、Aを弾くととんでもない事が起こってしまう。一瞬凹みそうになったが、パワーを落としてもらう事で事態はいい方向に向かいそうではあった。
ふたが開いてみると、会場は音楽を求めている人たちであふれていた。どうやらさらし者ではなさそうだ。なにしろNANIWAにとって、あれだけライヴをやり倒していたにもかかわらず、青森は初体験なのだ。目一杯のパフォーマンスでぶつかるしかないのだ。
いつものように後半は青柳のスタンドプレーのコーナーがある。この日も野外と言う事もあっていつもにも増して彼は走り回っていた。当然そう簡単にはステージに戻ってもらうわけには行かない。遂に彼は歩道に設置された会場を飛び出し、車道を駆け抜けて中央分離帯に飛び乗り、"りんご追分"を朗々と奏でるのだった。さすがにこの時ばかりは彼に後光がさしているように感じた。
この模様は青柳誠のサイトへ
http://ccc.ai-net.co.jp/aoyagi/nex/nex02
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嵐のごとく過ぎ去った夏の1ヶ月だったが、再始動と呼ぶにふさわしいツアーだったと言える。並行してスタートしたレコーディングも順調に進んでいる。8月に3曲、10月に4曲、そして1月に残りのトラッキングを終えればいよいよ夏前にはお披露目出来そうな具合である。ツアーを通じて何が必要で何が不要であるかの取捨選択は出来たような気がする。この経験を基に2003年は更なるスケールでみなさんにお会いしたいものだ。

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